「JAPAN」。。。。
南アフリカで育った社長のアントン・ノフケは、優れた製品、洗練された技術、細部へのこだわり、自然への愛情で有名な日本に住み、働く日が来るとは想像もしていませんでした。
南アフリカで青春時代を過ごした私は、海軍軍人を経て航空会社に入社し、パリで勤務した後、台湾赴任の辞令を受けて台北へ。
人生で初めてアジアに生活の拠点を移し、その後、デンマーク企業にヘッドハンティングされてシンガポールに赴任。その一連の流れの中で、アジア各地で、日本が「特別な国」として尊敬されていることを改めて知り、日本への憧れと興味はますます深まっていったのです。
そんな中、シンガポールで、マレーシア出身のJunno Designの共同創業者である産業デザイナー、ジュン・チーとの運命的な出会いがあり、私たちは出会ってすぐに意気投合することになりました。
その頃の私たちの話題といえば、東南アジアでは誰もが知っている、世界最大級の規模を持ち、他の地域では見られない生物多様性を誇るマレーシアの熱帯雨林が急速な勢いで破壊され、減少していることでした。
悲しいことに、マレーシアではオランウータンは住む場所を失って絶滅の危機が迫っているにもかかわらず、違法伐採や野焼きを止めることなく平然と行われている現状に、「経済成長のためとはいえ、こんなことが放置されていいのか?」と嘆き、自分たちに何かできることはないかと考えました。
そこで私たちが思いついた小さな解決策は、
「誰も住まなくなった家屋の廃材を再生材として加工し、高機能でデザイン性のあるキッチンウェアや家具を作れないだろうか?誰もが新品としか思えないくらい美しく実用的な家具を作れば、廃材の利活用にもつながり、熱帯雨林の伐採も食い止められるはずだ」
というアイデアだったのです。
そして私たちはマレーシアに渡り、創業を決意。
新会社は、Junn Chee(ジュン・チー)とAnton Noeffke(アントン・ノフク)の「Jun+No」の頭文字を取り、その後ろに「Design」と付け、「Junno Design」と名付けました。
私たちにとって、"Design(デザイン)"とは、単なる外見や色使いのことでも、機能性のことでもなく、「作り手と使い手の会話」、あるいは「自然と人間の対話」というコミュニケーションの姿であり、そのあり方を最も自然に表現したインターフェース、つまり「接触する面」であり、「出会い方」のことです。
廃材となった高級木材にもう一度、デザインで命を吹き込み、お客様が木の温かさ、優しさ、楽しさを日常的に感じられる生活シーンを演出するモノを届けることで、良いモノを所持し、使う喜びと、自然に包まれる幸せを提供していきたいという願いを込めています。
創業後、Junno Designが作り出した、マレーシアの再生材を用いたカッティングボードは、そのデザイン性と実用性が欧米で評価され、Amazon.comや欧米の展示会でも高い評価を受けました。おかげで私たちは、自然を守りながら生活を楽しもうというメッセージを分かち合える世界中のお客様と出会うことができたのです。
しかし、事業的には満足していた私たちに、いや、満足していたからこそ、時を経て再び、「JAPAN」という存在が関心の対象になってきました。
モノづくりでは世界最高峰の技術と品質を誇り、特に、木の文化と職人精神では独自の伝統と悠久の歴史を持つ日本。
アジアで最も西洋化された国のようでありながら、実はアジアのどの国とも違う独自の文化を保ち、孤高の存在感を放つ日本。
私たちが愛する木を、世界中のどの民族よりも大切に扱い、仲良く付き合い、素晴らしい建築物や生活道具を創造してきた日本。
そう考えた私たちが三度の渡航を経て、日本での新たなスタートの最高の舞台だと選んだのが、九州・福岡です。